現象学は〈思考の原理〉である 竹田青嗣(著)
先日の研究会の合宿で輪読した本の一つ。 うちの教授は昔から「現象学、現象学、現象学」と唱えるように言っていて、 「それをコンピュータを使ったモノづくり応用するんだ」ということを言われていた (現象学の理論を新しいテクノロジーのデザインに応用するという画期的なことを最初に本にしたのはPaul Dourish氏著の「Where the Action Is」だと思う) 。 そこで「現象学」というものがなんとなくは分かっていたのだけれど、 今回は新書の輪読ながら「なんとなく」という理解のレベルからもう一段階あがったのでよかった。
本著の中心的意義は現象学の起源であるフッサール現象学のその意義と可能性を理解可能な形で提示するという試み。 最初読んでいて文章に「否定形」が多いので軽く嫌悪感を覚えたが、 上記の点に関して著者の竹田さんの「熱意」が伝わってきて、悪くない。 現象学的なものの見方を「序」からかいつまんで簡単に説明。 我々が本性的能力で誰でも持っている「自分からの観点」と「客観的な観点」、 その「客観的な観点」を一度エポケー(判断停止)して「実存的な世界視点」だけを残すような視線変更のこと。 何っているか分からないかもしれないが、この本を読めば例がたくさん載っているのでそこそこわかる、と思う。 ツボなのは「エポケー」って言葉、発音がかわいいし、なかなかものごとの本質を見るのに使えるな。
では、そのような世界の見方は何故必要なのか?という点も現代の問題ともあわせて述べられている点も興味深い。 特に「イデオロギー的対立」についての解決策としてこの「現象学的物の見方」が通じるんじゃないかという提案。 これ、実は「ウェブ進化論」で梅田さんがいうネットの「あちら側」と「こちら側」のことも現象学的視点でみたら、 面白いなと思って今チャレンジしたいなと思っている。
ただ、まぁもっと勉強必要ですなー。