今回の要点は個人が映像編集を行うことができるDTV(デスクトップビデオ)においてチープ革命が起こったという俺の経験及び感動と、 しかしこうしたチープ革命がもたらした「映像を作成できる」というテクノロジーは果たしてDTVという形で収まるのかという課題提起である。 注意:とかっこつけてみてもデータに信憑性がないので俺が個人的に感じていることとして捉えてね。
つい先日とあるコンペに作品を提出するために約10分間のビデオを作らなくてはいけなかった。 学校にカメラも編集環境も揃っているので、今までだったら全部学校で作業するかな、という具合だったが、 今回はほとんど自前でやってのけて、とりわけ映像編集を自宅の部屋でやれたというのがとにかく驚き。 今年の初めに自宅のパソコンを最新よりちょっと古いくらいの能力にパワーアップさせたおかげで それが可能になった。映像編集というとつい昔だったらとりわけハイスペックなPCが必要でそれらは高額で、 俺個人の所有しているPCじゃあ無理だな〜と思っていた(いろいろ試したけど実用には耐えないと判断していた)ところ、 映像編集に耐えうるほどの能力を持ったPC、 というかパーツが安価になり(チープ革命)、個人宅でも十分に環境が整えられるものだなと感嘆した瞬間だ。
これが部屋での映像編集の模様
6年前のSFCの映像編集環境
俺が慶応大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に入学した当初、衝撃的だったのが、 この映像制作のための環境がキャンパスで用意されていることだった。 もう6年前の話になるが、実はその時初めてSFCが「ノンリニア映像編集環境」というものを導入した時だったらしい。 この「ノンリニア」ということについて簡単に俺なりに(専門家ではないので細かいことはつっこまないでください)解説をしておく。 映像編集、そもそもは8mmと32mmフィルムとかを切って貼っ付けて編集をしていたのが当初で、 その次の時代には「リニア」編集といって、ようはちょっと複雑な「ダビング」のような作業で編集を行っていた。 PCを使っての「ノンリニア」編集というのは、一度映像情報をPCの中に取り込んでそれをコンピュータ上で、 まるでフィルムを切り貼りするように並べ替えることができるというもの。そのためにはハイスペックな処理能力を備えたコンピュータが必要になる。 このようなPCを使って「ノンリニア」編集をすることを総じて「DTV」と呼んでいる。
6年前のSFCには、そんな「ノンリニア」編集ができるマシンが何十台もあるというのが驚きで、 その当時はそれが楽しくていろいろ映像を作った。 で、「このパソコンの威力すんげーなー、これ全部でいくらすんだろ」と考えちゃう。 で、たぶん予想なのだが、編集機1セット込みこみで「100万以上するだろう」と結論をその当時出したような気がする。
6年前のSFCの映像編集環境、「SFC AVガイド2000」P148より引用/「SFC AVガイド2000」の原稿は無料で公開されている
ノンリニア編集のさきがけ: AVID
こうした「ノンリニア」編集機のさきがけとなったのが「AVID」というシステム。 「AVID」を初めて導入した著名な人は岩井俊二。「Undo」が実は日本のAVID作品第1号らしい (参考: トラッシュバスケット・シアター)。 これも憶測だけど「当時何千万したんじゃないかなー」。 AVIDについては今もテレビ局ではメインで使われているみたい。 もちろん昔と比べて価格は下がっているだろうな。
10万円で作れる編集機
俺が今年の初めに作ってこの前映像編集をしたPCは4万円くらいで出来た。 パソコンというのはSONYのバイオとかAppleのG5とか「パソコンの形」をしているものを買ってもいいのだけれども、 俺はパーツを組み合わせる、すると安い。 詳細を説明するとCPUは「Intel Pentium4 3.0GHz HT」、MotherBoardは「ASUSのP4P800-E」、メモリは「512MB×2」のデュアルチャンネル、 といった具合。あとグラフィックボードを足せは4万円で完成。 所有しているDVカメラをPCにつないで、 元々持っているディスプレイを2つ並べて、さらには家であまっている小さいテレビを机に置いて映像を出力するようにしたら、 立派な編集環境ができた。 たまに映像編集ソフトが落ちるけど、あとはあんまりストレスない。少なくとも6年前SFCの編集機よりぜんぜん快適。 なによりも学校行く必要なくて、部屋で作業できるっつーのがたまらん。 今では液晶ディスプレイ17インチも2万円で買える時代なので、映像編集機が頑張れば10万円で作れんじゃねーかな。
映像編集環境のチープ革命遷移
ではここらでノンリニア編集当初、6年前のSFC編集環境、そして今の自宅編集環境の価格の遷移についてまとめよう。
- ノンリニア編集当初/AVIDシステム: 何千万円(推定)
- 6年前SFCの編集環境: 100万円以上(推定)
- 自宅編集環境: 10万円(いろいろこんつめて)
「Undo」の公開が1994年なので、今から12年前。 ちゃんと調査したデータではなくてあくまで仮説なのだが、ということは 「6年間で映像編集機の値段は10分の1になっている」と言える。 で、現状の10万だったら個人でもその価値を見つけられれば十分お金を払う対象になりえるだろう。 ま、ビデオカメラの値段とかソフトウェアの値段はちょっと考慮していないけれども、それらも安くなっているし。
チープになったDTVのテクノロジーは求められているのか?
というわけで「安くなったなー、家で映像編集できるなんて楽しいなー」と個人的には思っているわけだが、 こうしたチープになったDTVのテクノロジーというのは世間一般的に求められているのだろうか。 俺はウェブという表現方法を持っていることや、作品を作るリテラシーもある程度勉強したし、 友達にも映像を作りたいやつが多いので、 こうしたDTVの環境は非常にありがたく今後これを利用して映像作品を作るだろう。 だけれども、一般の人がこうしたチープ化したテクノロジーをDTVという形で利用するかといえば、否、だと思う。 そもそも「DTV」とう形ではないような気がしてならない。 DTV編集環境や現在のデジタルビデオカメラというのはあくまで極端なことを言えば「ハリウッド」的な映画や、 マスメディア的な映像を作るために設計がされているように思える。 一般個人、老若男女がこうしたチープ化した映像にまつわるテクノロジーをいかに生活に馴染んだ形でデザインするか。 例えば、昔の写真のアルバムを見返すと強烈なインパクトがある。 この間8mmフィルムで俺の昔の頃の映像を見ると泣けてきた。 このように「利用可能になった」デジタル映像を扱うテクノロジーを、 いかに「思い出」や「コミュニケーション」へ適用していくかが実は俺の研究テーマだったりして (moo-pongはそのチャレンジの一つともいえる)。 とまぁ、DTVのチープ革命化に驚き、勢いでエントリーを書いてみたという次第。