昨日奥出研の秋学期最終発表が終了して、学部4年と修士2年の人とはこれでお別れ。 皆さん卒業おめでとうございます。そして、いろいろとありがとう。 とはいいつつも、これからもなんかしら絶対に絡みはあるだろうし、 こんだけ面白いコミュニティ(だって、あんだけでかい研究室で巨大プロジェクターとワイヤレスマイクを使って、 本物のラジオDJが司会を務めて、めちゃくちゃ楽しい「追いコン」を企画・演出できる人たちって、 なかなかいませんよ、ってかいないよ) なので、何かしらの「つながり」を持てるような仕組み・サービスを俺の事業で提供していけば、 これで終わりではなくて「いい感じ」に付き合っていけるでしょう。
総括はこんな感じなのだが、今日は俺が学部1年から、ブランクもあったものの、6年間、ずーと一緒にやってきた、 俊輔について特集します。 まずは、俊輔との出会い、これはもうすでに有名な話ですが、一応エピソードを。 俺が大学入学したての頃、ちょうど新歓の時期ですね。その時いろいろとサークルの説明会みたいのを回っていて、 同じ高校出身の友達と、 とある音楽サークルの部屋に行った。そしたらその隣で、 緑のチャンピオンのトレーナーを着た新入生らしき人がひとりで来ていて、先輩の人としゃべっていた。
「俺フジロックとか行って〜フェスティバルとか興味あるんすよ〜」
とかなんかアピってた。 これが1度目の俊輔との出会い。 2度目は、これの数日後、授業が始まりだしたとき。まだSFCが喫煙に対してゆるかったので、 教室の前に喫煙スペースがあった。俺は授業の合間にそこでタバコを吸ってたら、 いきなり例の緑のチャンピオンのトレーナーの1年生が来ていきなり
「あ、○○○研(サークルの名前)の説明にいた人ですよねぇ」
と聞かれて、ちょっとびっくりした。「あっ、はぃ」みたいな微妙なリアクションしか返せなかった。 そしていよいよ、3度目の出会い。 これも何度もこの日記でかいてますが、ドキュメンタリーを作るというきついけど楽しいらしいという 目玉授業があって、その授業の2回目の講義の時。 ドキュメンタリーを作るチームを何人かで組め、といわれたので、 俺はこのまま同じ高校出身の友達となんとなく組もうかな〜と思っていたら、 あら、この授業にもあの緑のチャンピオンのトレーナーの1年生がいるじゃあありませんか。 なんかこの瞬間にインスピレーションっていうんですかね、なんか感じるものがあったんだよね。 同高校出身の友達からは離れ、今度はこっちから「一緒にチームを組まない?」って声をかけた。 そしたらなんか人数が中途半端になって、最終的にはあまりものの人たちって感じで 組まされた。そこから俊輔と一緒にモノを作る6年間の生活がスタートしたのであった。 ドキュメンタリーのことについてはこちらを参照:ゆーすけべー日記: 村主(すぐり)さんがんばれ
それからはそのドキュメンタリーの授業をやっていた教授のところに、軽いスカウトをされ、 俊輔と共にその教授の研究室で、いろいろやった。で、その研究室が奥出研というわけなんだな。
では、俺のホームページで俊輔との日々を振り返ってみよう。
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petihiki online
グループワークで俊輔たちと共に作ったインタラクティブムービー「KAKEHIKI」 -
ゆーすけべー日記: 俊輔いってらっさいかい〜新宿→鎌倉山武勇伝(かなり気合はいってます)
彼がアメリカに短期留学したときに祝った。 -
ゆーすけべー日記: サマソニ02第2日目@tokyoレポート
フジロック2000、そしてサマソニにもよく一緒に行った。俺ら基本ロック好きだからね。 -
ゆーすけべー日記: 鈴木大野リーダーなど俊輔アプリ、ヴァージョン0.1リリースです
誕生日に彼のブログのRSSリーダーを作ってあげた。 -
ゆーすけべー日記: 水上でキャニオニング体験
一緒にキャニオニングにも行ったね。 -
ゆーすけべー日記: あそこの先からロケット花火〜とある研究会の打ち上げ風景より
以前の研究会のうちあげではこんなことをしてみんなを楽しませてくれた。
そして、昨日の研究会の最終発表で彼は緑のチャンピオンのトレーナーを着たカメラ小僧と化していた。
まったく、どこのキャンギャルハンターだよ。
ま、なにはともあれ、卒業する皆様の活躍を祈ると共に、今後ともよろしく。